スマホに映る昔の豊橋を歩く ―豊橋創造大学と藤ノ花女子高等学校が高大連携フィールドワークを実施―
この取り組みは、大学生と高校生がGIS(地理情報システム)を活用しながら、豊橋の歴史と景観について学ぶ年間プログラムの一環です。今回は、高校生が参加する初めてのフィールドワークとして、対象地域の歴史・地形・景観を広く把握することを目的に実施しました。実施に当たっては、大学生が授業内で作成を進めている昭和初期の街並みの地理データをGoogleマップで読み込み、現在の地図上に重ねて表示できるよう準備して臨みました。
当日は午前10時に豊橋市美術博物館前へ集合。はじめに赤松秀亮准教授が、原始から戦後にかけて、今の豊橋市街地の景観がどのように形成されてきたのかを、約1時間にわたって解説しました。

写真1 縄文海進時の海岸線と遺跡の位置、出土品について解説を聞く
近世に吉田城が築かれた現在の豊橋公園の周辺には、原始以来、古代、中世、近世、近現代と人々が生活を営んできた痕跡が残されています。なぜ吉田城は現在の場所に築かれたのでしょうか。また、なぜこの地には古くから人々が住み続けてきたのでしょうか。こうした問いに対し、参加者は、土地の高低差や河川との位置関係、かつての海岸線などを手がかりに、地域の歴史と地形との関係について考えていました。

写真2 展示を見ながら考察を深める高校生たち
豊橋の歴史の流れをつかんだあとは、先ほどの問いから考察を深めるため、大学生がGISで作成した地図データをGoogleマップに読み込み、吉田城跡と旧城下町を歩きました。
吉田城跡の巡検では、豊川と本丸との高低差を実際に見ることで、城下町が築かれた豊橋市街が河川に近く、かつ洪水に遭いにくい立地条件にあったことを確認し、原始以来、なぜ人々がこの地に生活を営んできたのか考察を深めていました。

写真3 スマホで二ノ丸御殿(現存せず)の位置を確認

写真4 豊川と本丸との高低差を現地で確認
現在の道路や街区を、戦災以前の道路や地割と見比べると、今も残る昔からの道がある一方、戦災復興のなかで新設されたり、拡幅された道がいくつもあることが分かります。参加者は、Googleマップ上のデータと目の前に広がる現在の景観を照らし合わせながら、豊橋のまちの「何が残り、何が変わったのか」を確認しました。

写真5 西八町の交差点付近でかつての街並みや道の位置を確認

写真6 吉田城と街並み(昭和初期)の復原データをスマホで表示
豊橋創造大学の学生からは、
「実際に入力したデータを参照しながら現地を歩くことで、自分たちが行っている作業の意義を知ることができた」
「前回(5月8日)とほぼ同じ道を歩いたが、マップが完成した状態では感じ方が変わり、別の見方ができた」
「データをもとにフィールドワークを行ったことで、前回よりも詳しくまちを探索できた」
との声が寄せられました。
藤ノ花女子高等学校の生徒からは、
「今見ている豊橋の姿が当たり前だと思っていたけれど、昔との違いをもっと見てみたいと思った」
「小学校でも吉田城について学んだが、今回は高低差や城を守るための工夫まで詳しく知ることができた」
「展示品の中に三ヶ日や気賀など浜松の歴史もあり、豊橋とのつながりが分かって興味深かった」
との感想が寄せられました。
また、「普段の勉強だけでなく、実際にまちを歩き、展示品を見ながら歴史に触れることも素晴らしい経験だと思った」との声もあり、教室での学習とは異なるフィールドワークの魅力を感じる機会となりました。
大学生と高校生がともに地域を歩き、普段何気なく目にしている豊橋のまちを、歴史・地形・景観という複数の視点から捉え直す土曜日の午前となりました。次回は夏休みを利用し、大学の教員や学生がアドバイスを行いながら、高校生がGISを実際に操作する機会を設ける予定です。
暑いなか参加した大学生・高校生の皆さん、お疲れさまでした。

※本記事中の館内写真(写真1・2)は、豊橋市美術博物館の許可を得て掲載しています。



