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講義ノート&ハンドアウト(m)

R. メイドナー「スウェーデン-モデルの興隆と衰退」
A. B. シルバーマンによるインタビュー抄訳*


1940s末までには、スウェーデンの社会民主主義者は、大半の西欧社会主義者同様、資本主義改革の主要方法として生産を社会化するという目的を放棄していた。代わりに求めたのが、資本主義構造における福祉国家の建設である。しかし、戦後、スウェーデン製品に対する需要が国内生産能力を超えて拡大し、労働不足が生産性上昇以上の賃金増加を伴うようになると、完全雇用と物価安定性の確執の問題が顕在化する。スウェーデンー-モデル(Swedish model)は、それに対する回答だった。LOの戦略は、そのアーキテクト、G.レーン(Gosta Rehn)とR.メイドナー(Rudolf Meidner)の名を冠して呼ばれるが、@総需要を(インフレ誘発的な雇用レベル以下に)抑制するための政府の抑制的財政と金融政策、A完全雇用を達成する積極的労働市場政策、Bより平等な社会を実現するための包括的かつ普遍的福祉体制と連帯賃金政策を軸に展開した。

連帯賃金ガイドラインでは、同一労働同一賃金原則の奨励と低所得者層の賃金上昇率が勘案された。それを可能にしたのが、集権的団体交渉システムと労使協力である。…1980s終わりまで、スウェーデンの社会民主主義者は、完全雇用と平等という目的が達成されたと主張できた。失業率が2%を超えることはまれで、女性の労働参加率はヨーロッパで最も高かった。公共支出はピーク時にGDPの55%に達し、西欧で最も高額の税金によってまかなわれた。しかし、ほころびは1970年代に見られ、1990年までにモデルは崩壊した。メイドナー(The National Institute of Working Life)がモデルの展開と失敗を語る。

―スウェーデン-モデルをどう定義するか。
主要目的は、完全雇用と平等だった。

―インフレなき完全雇用が問題ではなかったのか。
それが重要な問題だった。モデルは、完全雇用とスウェーデン製品に対する国内およびヨーロッパ需要の高まりを背景にしていた。

―物価を安定させる方法は?
戦略は、インフレが利益にならないことを労組に納得させることだった。説得では十分だとは考えなかったので、LOレポートを作成した。基本戦略は、労働需要を制限するやや抑制的な財政・金融政策を課すことだった。

―労組はそうした政策に反対しなかったのか?
経済が繁栄している時に抑制的政策を取るのは、一定の政治的勇気を必要とする。加熱経済はインフレーショナリーだというだけでは、人々は納得しない。労組が、賃金要求に際してもう少し注意を払いうるような政策が必要だ。われわれの考えでは、過度に高い利潤は、企業がより高い賃金を支払いうるので、インフレを誘発しうる。

―つまり、ある程度のレベルの失業者を受け入れることを組合に求めた?
そうだ。もし、何もなされなかったら、一部の産業ブランチや地域、カテゴリーの労働者のリダンダンシーに帰結する。だから、積極的労働市場政策の施行によってそれをオフセットしなければならない。物価と投資は、財政・金融制限か政府管理によってコントロールできる。

―どのような積極的労働市場政策を導入したのか?
低需要がもたらす失業は、失業者への補償によっても、新しい職を見つけることを支援することによってもできる。そうした支援として、他地域への移動、移動手当て、住宅の売却、ジョッブプロスペクトをあげる訓練や再訓練がある。武器庫の手段は多い。しかし、1990年までの状況においてである。

―スウェーデン-モデルにおける平等の役割は何か?
平等を達成するには2つの方法がある。ひとつは、公共サービスを提供する非常に大きな公共セクターをもつこと。スウェーデンでは、特にそうだった。もうひとつは、連帯賃金政策の施行によるもの。組合運動は、その展開の責任を負う。企業利潤にかかわらず、同じ作業に同じ賃金を払う政策を促進した点で、スウェーデンは特別な例をなすと思う。連帯賃金政策は、長年、スウェーデンの組合運動の核心にあったものだ。それは経済学者が開発したものではない。1936年のLOコングレスに由来する。10年前、LOはリサーチ部門を設置し、賃金政策はメタルワーカーによって導入された。もともと社会主義賃金政策と呼ばれていたが、1938年にLOジャーナルの編集者が"Wage Policy of Solidarity(連帯の賃金政策)"という論文を書いたことによって名称が変わった。

―そうした政策の施行に、特別の制度的アレンジメントが必要だったか?
そうだ。非常に強い全国労組連盟を前提としている。1936年、LOコングレスは賃金政策における中央組織の役割の検討を開始し、41年には賃金政策設定の中央労組の権限を強化するが、それは簡単ではなかった。約30の加盟労組の見解を調整しなければならなかったが、使用者連盟は、1950年代半ばに中央賃金交渉を受け入れるよう実質的に強制した。明らかに、集権的交渉は、労使双方の利益だった。それを通して、労組は若年者、女性、不熟練と未経験労働者に若干を与えることができた。

―政策は、驚くべきもののように思える。完全雇用経済で、あなたは熟練労働者に、さほど熟練していない労働者より低い賃金増加を、つまり低賃金を求めている。どう説明するのか?
なぜスウェーデンの労働者が、より弱いグループとの連帯を発達させたか知らない。歴史的理由があるに違いないが、上から強制したものではない。ランクアンドファイルが平等主義的な賃金政策を支持し、それが熟練労働者によって受け入れられていたことを示す証拠は、十分にある。金属産業の労働者が賃金政策を導入し、彼らは平均以上支払われていた。それは、一つの階級意識の形態であり…さもなければ、スウェーデンが労働力の85%を組織することはできなかっただろう。

―賃金格差は狭まるが、富と所得の全体的な不平等は増す可能性があると言うのか?
そうだ。通常、賃金は企業の収益性と結びついている。モデルでは、収益性に関係なく同一賃金を受け取る。結果として、2つの帰結が生じる。最初の問題は、指摘の通りだ。収益性の高い企業は、余剰利潤をえる。

―余剰利潤に対する反応はどうだったのか?
労組は、余剰利潤の一部に税をかけるよう、政府を説得した。政府はそうしなかったが。結果として、労組はこうした利潤が何らかの勤労者基金に投資されることを勧告した。それは、投資決定への集合的管理を増すことになる。それがモデルの要素だとは言わないが、モデルの結果ではある。

―1990年代はどうか? 失業率は8%、連帯賃金政策は大方放棄され、福祉国家プログラムは削減された。
そうだ。今日、モデルは目的に関しても、適用に関しても、機能していない。失業率は8%に増加した。だが、フルタイムを望みながらパートタイムで働いている人、早期退職に追い込まれた人、労働市場プログラムにある人などを入れると、労働力の15%が失業しているといえるだろう。明らかに、この意味で、モデルは失敗した。過去数年間、異なるグループ間、男女間の格差は広がっている。平等が最早主要目的ではないという意味でも、モデルは失敗した。しかし、福祉システムは崩壊していない。

―社会プログラムの削減があるが?
そうだ。だが、なぜか? 支出できないからか? 複数の理由があると思う。1980年代に遡れば、金持ちを優遇する税制改革、資本と信用の規制緩和が、ほとんど論争も無いまま、数年間で生じた。誰も、こうした政策の結果を予測できない。

―1982年には、あなたがクローナを切り下げた。経済は回復し、政府は資本移動と信用規制を緩和した。建設と住宅で投機的ブームが生じた。なぜ社会民主党政府はモデルに従い、1988年に経済が拡張し始めた時に抑制的な金融・財政政策を取らなかったのか。失業率は、1.5%まで落ちていたと思うが?
答えるのは難しい。その頃には退職しており、組合のスポークスマンでもなかった。私は批判的で、同じ質問をしたものだ。税制改革は自己負担的とされたが、そうではなかった。低所得者層にはほとんどメリットがなく、肯定的な経済的目的も達成していない。300から400億クローナが失われ、財政赤字の原因のひとつとなった。低い税金が労働生産性をあげるという議論は、ナンセンスだ。人々がより働くという証拠はない。

―米国のサプライサイド経済学者は、この見解をなお支持している。
そうだ。それがモデルの失敗の理由のひとつ。もうひとつは、資本移動と信用の規制の撤去に関連する。実際には、資本移動の規制は機能していなかったので、中心的問題ではないだろう。しかし、信用の規制緩和は、投機を引き起こした。建築業界の成長は、15万人の労働者をひきつけた。同時に、公共建設プログラムも。スウェーデン人は、ブラッセルやロンドンに住宅を購入していた。

―政府がようやくブレーキを踏むと、急速な経済後退と失業の増加に結果したのではないか?
そうだ。1980年代末の投機をストップし、経済を安定化させることを嫌ったのが、ひとつの理由だろう。しかし、2番目に、1990年代初めにはヨーロッパと米国でも景気後退を経験していた。3番目の要因は、スウェーデン経済の国際化だ。スウェーデンはEU加盟を宣言したが、コミュニケーションの技術革新が同じ結果をもたらす。世界をひとつの大規模な証券市場にし、数十億の金融資本を即座に移動できる。国際化は、スウェーデン-モデルの適応性を失わせた。モデルは、国内経済下で設計されたものだが、われわれは国際経済の一部である。われわれがすることに対し、すぐに金融市場の反応がある。われわれの利率と為替レートを決めることはできない。EUへの加盟にかかわらず、国際化がモデルをやや時代遅れにした。

―スウェーデン-モデルの失敗は、完全雇用と平等がインフレと停滞をもたらすという主張に貢献した。賃金と福祉国家政策は、民間貯蓄と労働意欲を損なったのではないか?
あなたなら推測するかもしれないが、同意しない。失業は、経済的問題というより政治的問題だ。われわれは、最も重要な目的は物価の安定であるとするマーストリヒト規則に従っている。しかも、他国より良く従っている。政府は、低い財政赤字を物価安定性を達成する手段とみなす新しいイデオロギーに従おうとしている。完全雇用を達成しながらこれをすることはできない。マーストリヒト条約に新たなパラグラフを入れ、完全雇用が物価の安定性と同様に重要だとする動きはある。だが、それが成功するだろうか。ドイツ人は関心がないと言い、ブレアやフランスの社会党政府は関心をもつが、それは何も変えないだろう。

―完全雇用の達成に悲観的なのか?
もっとできるが、限界がある。スウェーデンは、これから拡張政策を取り、財政問題を無視し、ある程度の物価の上昇すら受け入れると言うには小さすぎる。結果を知っているからだ。証券市場は停滞し、通貨価値は下落する。国内経済政策の国際的反応を無視できない。しかし、積極的労働市場政策、積極的産業政策を展開できないわけではない。スウェーデンは、製造業の一部、安価な労働力を求める大企業の本社すらを失う過程にある。課税が困難な理由だ。何ができるか。私は、組合が年金基金を活性化する以前のアイディアに戻る。労働者は、数十億を民間年金制度に注ぎ込む。労組が、年金基金を企業の政策決定に影響を与えるケベックの例に従えば、資本の移動に影響を与えるのは、利潤だけではなくなるだろう。

―米国では、社会保障を含む社会福祉システムの民営化に対する関心が増している。
われわれは、年金制度を民営化しつつある。私は、全面的に反対だ。結果的には、年金基金への集合的投資を大きく減らすことになるだろう。人々は共同の年金制度ではなく、民間保険会社に保険料を払うからだ。論争もない。資本市場の巨大な変化に対する批判もない。われわれは、われわれの集合資本を失いつつある。これが、社会民主党の立場だ。それは、破壊されたスウェーデン-モデルの重要な要素だ。年金資本は、公的投資のために使われてきた。100万軒の住宅は、それなしには建設されなかっただろう。この政策に批判的なのは、左派党(Vans Terpartat)だけだ。社会民主党に取り上げられたネオリベラル(新自由主義的)な考えのひとつだ。

―悲観的なようだが? スウェーデン-モデルで機能している部分はあるのか?
連帯、高品質の公共サービス、一般的福祉、積極的労働市場政策ですらそうだが、深く根ざしたスウェーデンの伝統を完全に壊すには時間がかかる。積極的労働市場政策は、3-4%の労働力に対処するようデザインされた。今日では、そうしたプログラムは、失業問題を解決できない。だが、完全雇用経済への回帰をあきらめたわけではない。自然失業率などというものは存在しない。雇用と失業水準は、政府の経済政策の強い影響を受ける。労組は、多くをできない。名目賃金を過度に要求して完全雇用を掘り崩すことはできるが。スウェーデンの労組は、それはしないので、政府の問題になる。米国では、使用者がより多く雇用できるよう、賃金生活者は賃金を引き下げることを強制されている。われわれは、そのアプローチは取らない。われわれは、慎ましい生活レベル以下の賃金水準を受諾できない。モデルで残っているのは、人々と労働運動における、高い雇用とインフレなしにそれを回復できるというフィーリングだろう。だが、今のところ、政府は完全にEMU(経済通貨同盟)規則に従っている。しかし、EMUがなく、物価安定性が最優先課題でなかったら。わたしは、少なくとも完全雇用に同じプライオリティーを与え、それらを両立する方法を見つけられると思う。われわれは、この問題に50年も取り組んできた。新しい世代が、この課題を考え続けなければならない。

―短期的には、社会民主主義モデルの復活に悲観的だと?
短期的には、そうだ。多分何十年も、苦痛に満ちた期間を耐えなければならない。その兆候を、スウェーデンのような社会で目にしている。われわれは、かなりのグループの人々を排除している。移民は、非常に厳しい条件下で生活している。格差は、広がっている。連帯は、言葉としては使われているが、実現されていない。

―変化する経済状況の中で、社会民主主義的改革を創造的に考える声はあるか?
老人に聞かないでくれ。そうした新しい主張が聞こえないかもしれない。それが、危険なのだ。83歳の男にとって、新しいアイディアが聞こえてこないというのは易しい。多くは、新古典派的イデオロギーからもってきた非社会主義的概念だ。だが、悲観的になりすぎないようにしなければならない。もちろん、私の記憶はそう鮮明ではないかもしれないが。素晴らしい年月だったし、そう簡単に取り戻せないだろう。少なくとも一世代は。あなたの質問は、「新しい考えをもった人々がいるか?」だった。そうした人が見当たらない。多分、私が悪いのだろうが。
*R. メイドナーは、1951年の政策文書「労働組合と完全雇用」を通して「レーン-メイドナー-モデル」とも呼ばれる戦後スウェーデンの社会経済モデルを立案した経済学者。全文は、Bertam Silverman (1998) 'The rise and fall of the Swedish model: Interview with Rudolf Meidner', Challenge, vol.41, issue 1を参照。

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